カーテンあける
夜、何も出来ずに部屋で座り込んでいる時、カーテンを開けて月が見えないと本気で死んでやろうかという気分になる。
死にませんが。せめて月くらい見せてくれ。
夜の雲ほど鬱陶しいものもない。
仕方がないのでライターで火を灯す。
穴から細い火が吹き出る。オイルの無駄だ。揺れる炎を見つめた所で、幸せな幻覚が見えたりはしない。
百均のライターならそんなものだろう。煙草も吸えなくなったので、使いみちは他にない。観賞用。
幻覚は見えないが、炎を見ていて思い出す事が無いわけではない。
誕生日の蝋燭、実験室のアルコールランプ、学校行事のキャンプファイヤー、等。
ものの見事に憂鬱になる思い出ばかりだ。過去を振り返っても恥しかない。
少しでも油断しようものなら、連鎖的に碌でもない記憶が蘇ってくる。
ありがたいことに、使われない情報は忘れていく仕組みになっているので、思い出す寸前で他の事を考える。
そういえば『成人まで覚えていると死ぬ』という言葉を、誰かに教えられたな。
覚えていたが当然死ななかった。
あれはいつ、誰に聞いたのかという事を考えかけるが、どこに地雷が埋まっているか分かったものではないので中断する。百円ライターの寿命の事でも考えよう。
こんな事ばかりやっていたため、過去の記憶はかなり断片的である。良い兆候だ。
私の走馬燈は相当に密度の薄いものになるだろう。