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『そんなんで生きてて何が楽しいの』って、さすがに正面切って言われたことはありませんが、たまに自分の妄想が尋ねてくることはあります。
罵倒が勝手に湧いてくるなら、それに対する応答まで自己完結しておくのが筋というものです。
だいたい、何で僕が能動的に生きているものと決めつけるのか?
単に死んでいないだけで、生きようとして生きているわけではないのです。
決定的な破滅、無へと引きさらわれるまでの過程が恐ろしいので、そこに陥らないための消極的な骨折りを続けている。
害虫が、自らを叩き潰さんとする新聞紙から逃げ惑うようなもので、そんな営みにまで文句を付けられる謂れはない。
すると『お前をそのような心理に追い込むのは、お前自身の心持ちではないか』という的を外した答えが返ってきますね。
しかし、それはその通りです。
私は自ら望んで不幸でいるので、誰にも邪魔をすることはできない。
幸福追求の権利があるのなら、あえてそのような追求に走らないことも、当然許されて然るべきです。
与えられたものを、無理して最大限に楽しまねばならない道理などない。
途中退席すら許されないで駄作を直視し続けるより、寝ていた方がよっぽどましです。
生まれて来たからには、こんなものは糞以下だと主張する権利がある。
『お前がつまらぬ人間だから、世界が色褪せて見えるのだ』
馬鹿な、全く色褪せてなどいないのです。
私がいかにつまらない、ちっぽけな人間だろうと、周りを見渡せば目に入るものはある。
地獄!
天国のイメージが何だかぼんやりして掴みどころがないのに対し、地獄の描写があれほど色彩豊かに鮮明なのは、それがこの世の別称であるからだ。
ほっといてくれ。