月に見られているから仕方がない

いま泥酔した状態で散歩しています。

トイレに入ったら他人種に対する露骨なヘイトスピーチが書かれていました。
楽しい。
私達は何かを見下さないと生きていられない。自分より下の人間がいないと安心できないのだ。
必死ですね。
今、私は公園に退避しています。



それにしても、夜中にうろついていると延々と切り替わっている信号が目に入って不安定な気持ちになります。
夜更けに車の通るはずもなく、私は赤信号を無視して渡る。
それでも信号機は赤と青のあいだを往復している。

そこにあるのは秩序というより無関心です。
人がいようがいまいが、ひたすらに決まった動作を繰り返す。
機械なので当然ですが。

人を律するために作られたものが、人がいなくなっても動作しているのは面白い。
その調子で、人類が滅んだあとも点灯を繰り返してくれれば良いと思います。
しかし交差点に突っ立っているただの機械に何かを見出そうとするのは、どう考えても馬鹿げている。
過度な一般化は傲慢のあらわれだ。
信号機が、人間の感情を解するとでも思っているのか? 解さないからこそ良いんじゃないですか。そういう事です。


先ほど申し上げましたように、私はいま公園に居ます。
眼の前にあるジャングルジムに登りたいですが、登りません。
なぜなら私は大人だから!!
大人なんぞになるよりは、信号機として一生赤青を繰り返していたほうが遥かにマシです。

今はジャングルジムでこれを書いています。
ざまあみろ。夜風が気持ちいいので吐き気がします。
昔、ジャングルジムの頂上から落下して無傷だったことがあった。
どこも引っかからずに垂直降下したからです。
箸にも棒にも掛からない。
運命の方でも、私を傷つける価値を見出さなかったに違いない。
私の妄想は、こんな時でも私を嘲笑している。


たぶん水道が無かったからでしょう。手が洗えない。水を飲めない。一生身を清めることはできない。
しかし私は、きれいなものが好きなんです。
それだけです。
その程度のことで、苦しむ必要がどこにある?
代償を支払わなければ何も得られないというのなら、私は一生寝ていたい。
ベンチで寝ます。ズボンのゴムが本当に気持ち悪い。これじゃ眠れないじゃないか!


少なくとも月はきれいです。街灯も同じくらい。だから私は幸福です。動けないとしても。
風に葉っぱが揺れているのを眺めます。
頭上から虫が降ってくるような気がします。
星が一つだけ見えたので、私は仕方なく立上がる。
気分が悪いのでやっぱり座る。



砂場にかけられた網目上のカバーで、何かを思い出しそうになりました。
僕にもあれを剥がして遊んでいた頃があった。

本当か?
過去など未来と同程度には不確かです。
ある日、突然記憶が別人のものとすげ替えられたとして、私が気付くとも思えない。
砂場で山を作り、誰かと穴を掘って遊んだのは、本当に私の記憶でしょうか?
見ず知らずの、年上の子どもに逆上がりを教えられたのは?
その場で出会った誰かと、ひたすら広いすべり台を滑っていたのは?
空想と記憶の区別がつかない。
現実とも区別がつかなくなれば、それは実に素晴らしいことだ。
どうにもならない悪夢より、好きにできる妄想のほうが多少は良い。



やっと頭が正常になったので、家に帰ります。
この世には実質的に私しかいないので、私の正気を判定するのは私だけだ。
客観的にも主観的にも、どう考えても私は正常だ。
だから歩ける。素晴らしい。
それなりに長いこと座っていたようだ。
月の位置が変わっている。
酔いが覚めたので、今や私は完全に理性的です。帰れる。帰りたくはないが。
結局、衣食住が揃わなければ、私達は喋ることさえできないのです。
とにかく寝ているのが一番です。何もせずに。


百円玉を落としたのでジュースを買えなくなりました。
貨幣の価値などそんなものでしょう。
何ループ目かに入った音楽が、イヤホンからずっと流れています。しつこい。