さようなら、こんにちは

いったい何が不満なのかという気もするが、そもそも何事も起こっていないくせに、これほどまでに苦痛を覚えているということ自体、私の人生のどうしようもなさを表しているようです。

 

私が特別な悩みを抱えているとか、人一倍感受性が強いとか、そのようなことは一切ありません。

ただありふれた、ごく一般的な苦しみが延々と続くことだけは確かです。

たぶん私たちは、前世で何かひどい事をやらかして、この牢獄に突っ込まれたのでしょう。

 

まあ、前世など信じてもいませんが。

原罪とかその辺の着想も、案外そんなものだと思っています。

理由のない痛みに耐えられる人など、そうそう居るようにも思えない。

そう考えれば、この世の人間のほとんどが安易な解決手段に走らないのは、実に驚くべき事のようです。

せめて宗教の根付いた土地に生まれれば、多少はましだったかもしれないと空想することもありますが、そう都合の良い話でもないでしょう。

それならそれで、別の苦悩があるはずです。

共通の物語は強固ですが、何かのはずみで疑念が生じてしまった場合の事など、考えるだに恐ろしい。

 

プラスからゼロへ転落するくらいなら、いっそゼロのままでいた方が良いと思うわけですが、ふと視線を落とせば、そこには無限のマイナスが!

足を踏み外せば底なし沼、というかもう、膝下あたりまでは浸かってしまっている。

 

救ってくれるのは仏か、神か?

どこを向いても碌でもない、八方塞がりにも限度がある。

気の持ちようを変えるしかないということくらい、当の自分にも分かってはいるのです。

ただ、理解と実践には天と地ほどの落差がある。

人間がそう簡単に変わるのなら、性格などという言葉は存在していない。

 

 

こうしている間にも時間が、時間だけが過ぎていく。

 

この緩やかで、しかし絶える事のない流れが、その場に留まっていることを不可能にしている。

現状を維持しようと思うだけでも、先へ進まぬわけにはいかないのです。

これ以上の底はないなどと口にしながら、さらなる転落を恐れ、嫌々ながら進み続ける。

一時でも足を休めれば、さらに未知の苦痛が襲ってくることは明白で、そこから再び歩き出す事など、軟弱な人間にはできるはずもない。

 

どうもこの世には、取り返しのつかないことが多すぎるようです。

退屈なくせに注意力だけは要求する物事なんて、だれが好き好んでやるものか。

実際、自分の意志で生まれた人間など一人もいませんが、望んで死ぬ人間はいくらでもいる。

それは詭弁というか冗談にしても、単に生まれてきたというだけの理由で、なんで私たちがこんな目に遭わなきゃならないのか。

 

そんな感じで被害者面しつつ、あと八十年くらい生きようと思います。

よろしくお願いします。