俺は何もやりたくない
顔を洗い、髭を剃り、水を用意して外出し、髪を切らねばならない。
切手を買い、本を借り、帰ったら部屋の掃除をして、それから仕事を始めなければならない。
それらはこの先の苦痛を低減するために必要なことだ。
精神の均衡を保つために不可欠な行為だ。
実行しなければ、ますます状況が悪化するのは目に見えている。
こうしている間にも刻一刻と期限は迫っているのだ。
その場に留まっていたければ、前に進み続ける必要がある。
このまま成り行きに任せて破滅すれば、怠惰の謗りは免れない。
だからどうだって言うんです?
私は怠惰な人間なので、外に出ないし、布団から出ないし、この後また昼寝します。
最近何もかも面倒で、外へ酒を買いに出かける気力すら起きません。暑いし。
酒が無いのは非常に精神衛生上良くないのですが、面倒くささが勝っているので仕方がない。
幸いなことに、睡眠がある程度、酩酊の代用品となってくれます。
何も考えずに済むという点で、両者にそこまでの違いはない。
過ぎれば毒となる点も似ています。
寝過ぎで背中と頭が痛い。辛いのでまた寝る。寝ると症状は悪化する。
まるで私は睡眠中毒、女の子なら眠り姫にでもなれたかもしれないが、残念ながら三年寝太郎が関の山といったところです。
まあ三大欲求と言われるだけのことはありますね。他と違って金がかからないのがせめてもの救いか。
その代わり、私の時間は物凄い勢いで磨り減って行くわけですが、どうせ残りの人生も碌でもないので問題ありません。
何だかこうしている間にも、将来への負債のようなものが積み重なり続けているようです。これ以上増えてどうなるっていうんだ。
頼むから自己破産させてください。
虫、虫、虫、気が狂う
夏です。八月です。何もしていません。
部屋を飛び交う羽虫のほかに、話し相手はいないものか?
いないからこんな文章書いてるんですね。
とにかく現実から目を背ける事だけに全力を尽くしています。
直視したら死ぬ。
空想、妄想、何でもいいが、せめて頭の中にくらい安全な場所を作っておくべきだ。
現実逃避の手段は多ければ多いほど良い。
悪化の一途をたどる今この時を、その場しのぎにやり過ごさねばならないのだ。
その行く末など知った事では無い。どうせ落ちるなら、好きなだけ底へ落ちるが良い!
などと思い切ってしまう度胸もなく、横目でちらちらと現状を、そして真っ暗すぎるこの先を見ては、嫌になって不貞寝する毎日です。
本気で寝てばかりいる。
しかし睡眠よりもましな時間の過ごし方が、果たしてこの世にあるのでしょうか。
将来への不安も、鬱屈した感情の波も、私を急かす蝉の声も、夏になってから台所で毎晩のように遭遇するあれへの恐怖も、全部寝れば忘れられる。
許されるのなら一生寝ていたい。
むしろ現実の方が悪い夢で、意識を失っている状態の方が正常なのではないでしょうか?
思考とはそれ自体が病であって、故に進化の終着点を自称するところの人類は、不幸な想定に溜息を吐きながら地上にのさばっている。
下手に分別を得てしまったばかりに、誰も彼もが苦しんでいます。自業自得というやつですね。
何も考えずに、死ぬまで幸せになれる薬があればいいのになあと、私は昔から思っています。
傍から見れば薬中でも、幸福など所詮は主観なので、本人が良ければそれでいい。
しかし主観であるはずの幸福さえも、自分の意志でどうこうできないあたりが私らの限界でしょう。
外からの刺激などに左右されず、常に喜びを感じている……とまではいかなくとも、せめて不幸は感じないくらいの心持ちでいられれば良いわけですが、そんな事が出来る人間は仏様くらいしか思い当たらない。
悟りを開けなかった私たちは、目下のところ酒を飲むしかないのです。
さようなら、こんにちは
いったい何が不満なのかという気もするが、そもそも何事も起こっていないくせに、これほどまでに苦痛を覚えているということ自体、私の人生のどうしようもなさを表しているようです。
私が特別な悩みを抱えているとか、人一倍感受性が強いとか、そのようなことは一切ありません。
ただありふれた、ごく一般的な苦しみが延々と続くことだけは確かです。
たぶん私たちは、前世で何かひどい事をやらかして、この牢獄に突っ込まれたのでしょう。
まあ、前世など信じてもいませんが。
原罪とかその辺の着想も、案外そんなものだと思っています。
理由のない痛みに耐えられる人など、そうそう居るようにも思えない。
そう考えれば、この世の人間のほとんどが安易な解決手段に走らないのは、実に驚くべき事のようです。
せめて宗教の根付いた土地に生まれれば、多少はましだったかもしれないと空想することもありますが、そう都合の良い話でもないでしょう。
それならそれで、別の苦悩があるはずです。
共通の物語は強固ですが、何かのはずみで疑念が生じてしまった場合の事など、考えるだに恐ろしい。
プラスからゼロへ転落するくらいなら、いっそゼロのままでいた方が良いと思うわけですが、ふと視線を落とせば、そこには無限のマイナスが!
足を踏み外せば底なし沼、というかもう、膝下あたりまでは浸かってしまっている。
救ってくれるのは仏か、神か?
どこを向いても碌でもない、八方塞がりにも限度がある。
気の持ちようを変えるしかないということくらい、当の自分にも分かってはいるのです。
ただ、理解と実践には天と地ほどの落差がある。
人間がそう簡単に変わるのなら、性格などという言葉は存在していない。
こうしている間にも時間が、時間だけが過ぎていく。
この緩やかで、しかし絶える事のない流れが、その場に留まっていることを不可能にしている。
現状を維持しようと思うだけでも、先へ進まぬわけにはいかないのです。
これ以上の底はないなどと口にしながら、さらなる転落を恐れ、嫌々ながら進み続ける。
一時でも足を休めれば、さらに未知の苦痛が襲ってくることは明白で、そこから再び歩き出す事など、軟弱な人間にはできるはずもない。
どうもこの世には、取り返しのつかないことが多すぎるようです。
退屈なくせに注意力だけは要求する物事なんて、だれが好き好んでやるものか。
実際、自分の意志で生まれた人間など一人もいませんが、望んで死ぬ人間はいくらでもいる。
それは詭弁というか冗談にしても、単に生まれてきたというだけの理由で、なんで私たちがこんな目に遭わなきゃならないのか。
そんな感じで被害者面しつつ、あと八十年くらい生きようと思います。
よろしくお願いします。
カーテンあける
夜、何も出来ずに部屋で座り込んでいる時、カーテンを開けて月が見えないと本気で死んでやろうかという気分になる。
死にませんが。せめて月くらい見せてくれ。
夜の雲ほど鬱陶しいものもない。
仕方がないのでライターで火を灯す。
穴から細い火が吹き出る。オイルの無駄だ。揺れる炎を見つめた所で、幸せな幻覚が見えたりはしない。
百均のライターならそんなものだろう。煙草も吸えなくなったので、使いみちは他にない。観賞用。
幻覚は見えないが、炎を見ていて思い出す事が無いわけではない。
誕生日の蝋燭、実験室のアルコールランプ、学校行事のキャンプファイヤー、等。
ものの見事に憂鬱になる思い出ばかりだ。過去を振り返っても恥しかない。
少しでも油断しようものなら、連鎖的に碌でもない記憶が蘇ってくる。
ありがたいことに、使われない情報は忘れていく仕組みになっているので、思い出す寸前で他の事を考える。
そういえば『成人まで覚えていると死ぬ』という言葉を、誰かに教えられたな。
覚えていたが当然死ななかった。
あれはいつ、誰に聞いたのかという事を考えかけるが、どこに地雷が埋まっているか分かったものではないので中断する。百円ライターの寿命の事でも考えよう。
こんな事ばかりやっていたため、過去の記憶はかなり断片的である。良い兆候だ。
私の走馬燈は相当に密度の薄いものになるだろう。
朝、昼
六時に起きたが頭が働かないので寝た。たぶんこの後も寝る。寝るたびに残り時間がすり減っていく。だが、少なくとも、まだ朝だ。
まだ子供だと思い込んでいるうちに、とっくに成年を過ぎていた。
本当は二十歳までにピストル自殺しているはずだった。拳銃が手に入らなかったのでやめた。
手に入ったとしても、間違いなく死のうとはしなかっただろうが。
数十年ものあいだ生き永らえている人間は、間違いなく気が狂っている。
この世にあるのは狂人と臆病者だけだと誰かが言っていた。
両方の条件を満たしているこの僕は、しかし、未だに幻覚に浸りきれてはいない。
必要なのは何か?
宗教だ。別に神でなくともよい。
とにかく信ずるに値するものが要る。π×10^9秒の無意味さには耐えられない。
私には何一つ、意味のある事は為せず、価値のある物は作り出せないような気がしている。というか事実だ。
別にそれが悪いという訳ではない。
神も死後の世界も信じられない以上、意味だなんだと言い始めるのはそもそもおかしい。
意義などというものは存在せず、全ては、ただそのようになっている。
人間は、そこに法則や物語を勝手に見出す。
何か知ったような口を利いている。何も分からん。
分からないから教えてくれ。